人ごとじゃない!

カテゴリー │時事


 テレビででニュースを見ていたら、輪島塗りの職人さんが出ていた。被害が甚大で。
 それまで、輪島市の名は何度も耳にした。
でも…
私は輪島塗りのお箸を使っている。愛用と言っていい!プレゼントもたくさんした!輪島塗りのお箸を!軽いんだもん!

えっ!人ごとじゃない!身近に感じていた、愛用品の生産者...
 今はインターネットのウェブサイトがあるので、会社名を検索したら、

 伝統工芸 輪島塗、地域産業を復活させたい。
皆様の温かいご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

わたしたち「わじま龍作」は、小さな箸置きから大きな飾り棚、屏風などさまざまな品を手掛ける塗師屋です。

この度、能登半島地震発生により、輪島本店・工房・自宅が上記写真のように全壊し被災しました。
まず倒壊した会社を建て直し、輪島塗の再建をする事で魅力的な輪島市の再建に寄与したいです。

輪島塗は使うほどに良さがわかるもの。
先々代から続く『わじま龍作』ブランドは、妥協しない、最高のものを求める本来の輪島塗の精神を3名の職人たちが今も受け継いでいます。
妥協のない仕事をしているからこそ商品はすべてが自信作で、その自信に信頼を感じてお得意様となる方も少なくありません。
伝統的な輪島塗の技法を大切にしながら、たくさんのご愛顧いただいたお客様や、輪島塗の職人たちの生活ために
この地震に負けず輪島塗を守りたいと考えています。

残念ながら、今回の震災で輪島本店・工房は全壊いたしましたが落ち込んでばかりはいられません。
いち早くの復活を目指してがんばります。皆様のお力をお借りできれば嬉しいです。
皆様からのご支援を、どうかお願いいたします。

令和6年1月25日
有限会社池端漆香堂 専務取締役 池端龍司



 

能登の地震と一粒万倍日&天赦日 ハルマゲドン

カテゴリー │時事キリスト教

 
 お正月、新年早々、友人、知人と地震の話でもちきりでした。
(以下、ネットからの引用)
 今日、本日、2024年1月1日は、一粒万倍日と天赦日が出会う日。
由来は、「陰陽五行説」と「十干十二支」とされる。
「一粒万倍日」とは「一粒」を「万倍」にする「日」。
お米の種籾(たねもみ)の1粒の苗を植えて、田んぼの稲になり、何万倍ものお米が実る。
 倍になってかえってくるので、何かを始めるのにぴったりの吉日とされている。


能登半島の世界遺産の千枚田 ブログ掲載可の画像

「天赦日」は、「天」が「赦(ゆる)す」日。天の神様が、罪を赦し、新しいスタートにGOサインを出してくれる。
 暦の上でこの2つの日【一粒万倍日+天赦日】が巡り合う日は、2024年に4回しかない。
・1月1日
・3月15日
・7月29日
・12月26日
 幸先よく未来創造のための新しいスタートをきる日です。が、開運はたまたま、偶然ではなく、準備された心に宿る。ので、仕込みを始める日でもあるわけです。

 新年の元旦の夜の出来事、災禍には心底驚きました。
 新しい始まり、気持ち新たに改まり、新たな日を紡ごうとする日、清々しい年明け。この恒例の日々が崩れ去った!
 何が良い日だ?一粒が万になるなら、今日の地震も次々に各地で勃発、これからどんどん同じような事が起こるじゃないか〜!と軽くパニックになる!


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 元旦からまさかの事態。
大きな呼びかけをいただいて今年は始まろうとしています。
眠れる魂に目覚めを誘っているのか。
 ハルマゲドン。ヨハネ黙示録に出てくる言葉で世界の終末を意味する。下(地下の世界、暗黒面)に龍がいて、そうだ!今年の干支は龍だった〜!頭上にはたくさんの天使達が降りてきて舞っている。そういう画として描かれています。
闇の門が開いている。
裁きの時だ〜!
 ウクライナ侵攻、イスラエルとハマスとの戦争。
 今までもスーダン、アフガニスタン、シリアなど、思いつく限り、どこかで紛争は起きていた。
ただ、アメリカが絡むのが、ウクライナ、イスラエルなのだと理解していた。
でも、本当に抜き差しならない、今までとはガラッと違った局面を迎えつつある。

 危機感、悲観的観測を持った私に
 闇ではなく、どっちに転ぶか、まだ未定の状態だと思います。
闇の方にも光の方にももっていくのは人間の心だから。
 ひとまずはショックが軽くなりました。自戒!自戒!
 自らの闇との闘いかと、思いました。私達の心が、闇を作り出しているから、そのことを意識しないといけないと思っています。

 怒りが怒りを呼び、憎しみが憎しみを引き出す。そして恨みの連鎖というものがそこには生まれてしまう。その国に生きるという事は無自覚に当たり前のように、その時代背景やその国のその民族のバックラウンド(文化、流れ込むもの)を背負うことになる。常に対峙している緊張感。その周辺の国の事情を込みで生きるならば、闇のエネルギーを引き出してしまう事は仕方がないことです。
 そうならざるを得ないバックグラウンドがあるのは分かっているものの、それぞれのバックラウンドの違いを理解していないと戦争にもつながるのでしょう。力が強い方が、の。弱い方は涙を呑み、それに従うしかない。それは嫌だ〜!人間の尊厳、自由が守られる社会、世界でありたい!
 日本とはあまりにも置かれた歴史、いきさつ、文化、イデー(思想)も違う。でも日本は予測できない災害に何回も見舞われ、建築技術、防災etc.をアップデートしてきた。
 歴史は全て人間の心が作り出したものですものね。これから新しい歴史を作っていくのは今生きている私達ですね。

 逆に不安に、不満につけこむ、闇もあるんだ〜(*_*)
なかなかですが、目は外に向いているので、外で起こったことを頭で、首から上で考えて、色々批評するのは、知識があれば、容易いけど、
「隣人を愛せよ」「キリストを背負う(キリストに倣う)」をかみしめながら、
自分の中にあるたくさんの心の闇を少しずつでも光の心に転換してゆけるように歩みたい。
 光へ向かうためには、人間の中にある闇に落ちていく力と戦っていかなければなりません。これはなかなか強い、侮ることができない力、煩悩ともいう。
 そして、あちらこちらに生まれている闇の増幅。その中で、私たちがいかに光の心を乱す闇に向かい合うことができるか。
 人はそれぞれ違いを抱く者だと分かっていても、あまりに常識外れの行動や発言だと違和感を感じちゃいます。でも、それぞれの違いを理解する、違いを認めないと不満、悪口、言い争いにつながる。それが国家単位だと戦争?につながる?
闇にひっぱられず、自分を横におき他人の為に見返りを求めず尽くせるような人が増加したら、光に向かうのでしょう。
 そして、ノアの方舟的になってはいけないという事か。キリスト教の「カトリック」の意味は、「普遍的」。だから選民思想、信じる者のみ救われるというセクショナリズムに陥ってはいけない。隣人を愛せよ。自分の尺度から見ると、違和感を感じる。でもそうならざるを得ない、そうする理由があるのでしょう。それぞれの違いを受け入れ、敵味方関係なく、全ての人間を抱擁されるイエズスに倣い、聖霊さまの導きにより、恵みをいただけたら、きっと出来事、出会い全てに意味があり、その出会いに感謝という境地になれるのでしょうね!
 自動的にいつもの気分、いつもの感情にひっぱられて同じ繰り返しをしてしまうことを神に立ち還り立ち止まり祈りの時を持ちたい。隣人を想いたい。たくさんの人が祈れば祈るほど大きな力となる。光届けと願います!

 そして、外へ、人の事ばかり奉仕していて、自己犠牲が、逆に自分のためにもなっている、という事。家族のために、友人のために、とやっていた事。2023年の5月からボランティアを始めて、人のためにやっているように見えますが、自分のためになっている。職場と家の往復だけでは、普通にしていたら出会えなかった、地球環境を守る、子ども達の未来を考える、ダイバーシティを考えている人達との絆が深まって、心の交流が生まれて、結果として、それが私の日常生活に幸せと充実を運んできました!社会に貢献している。今まで知らなかった、無農薬の大変さ、生ごみを堆肥にすることのメリットetc.
 2023年に新しく始めた挑戦は、私にもたらしてくれたものが多かったです。

 でも、今の仕事に辿り着くまではたくさんの挑戦がありました。
がまんすれば、生活のために割り切って、という声もたくさん頂きましたが、ストレスフルより、より良く生きたい、いい仕事をしたい、実力に見合った仕事をして喜ばれたいと願い、今の仕事をしております。なので、上司、その職場には感謝しかありません。
 中途ですので、周りとは違う面はありますが、それでも前職で培った組織論が役に立ちました。
 今までやったことのない挑戦をするという事は壁にぶつかり、困難を生み出すこともあるでしょう。しかも常に良い結果に導かれるとは限りません。挑戦の結果、落胆、後悔、葛藤を抱えることもあるでしょう。
 そのそれらの経験が全て消えてしまったら、味わってきた数々の想い、それらが全部消えてしまったら、どうでしょうか。
人生はどんなに空虚になるか。
 人生を豊かにしてくれるのは財産でも名誉でもまた単なる成功でもないと思います。
真善美、より良く生きたいと願うからこそ、そして実際にそう生きることこそが実は人生を豊かにしていくことになるのではないでしょうか。
 
 神学を学んだ者としての解釈でした。
そして、主に祈ります。いついかなる時もすべての喜びと悲しみに出会う中、あなたの光で照らし続けてください。私たちがつまずかず歩むことができますように、より良く生きる事ができるように導いていただけますように。
 そういえば、僧侶からも太陽のあたたかい無償の愛、宇宙との繋がりについての禅語の年賀状を頂きました!暗闇、冬の厳しい寒さにあって、太陽の熱、光を求め、光に向かおうとする。
 アフターコロナに必要だったのは希望であった2023年の幕開け。今年は、希望だけではなく、再生、再生の場がたくさん生まれる事が求められている。
 ボランティア活動を通して、そう感じられます。地球環境を守るために、リサイクルの場がたくさん広がっています。それと同じように。
 今年もよろしくお願いします。



 

「花紅開宇宙」 あけましておめでとうございます☆

カテゴリー │仏教


 「花紅開宇宙」(花 紅(太陽) 宇宙に開く。はな くれない うちゅうにひらく)
一輪の花の中に宇宙が内包され、マクロへ開かれ、宇宙も同じく花の中に現れ、開かれている。

 大学で神学を学びました。科学に造詣が深いクリスチャンの教授と神父様の講義で、メインはアインシュタインの光量子論でしたが、コンピューター理論にも詳しかったのです。自然と科学の結びつきについて、印象深いものがございました。
 キリスト教では、神は万物の創造主と信じられています。

 コンピューターは入力すると、処理され、ディスプレイに処理結果を反映(出力)します。例えば、葉っぱは、暗闇では何色に見えるでしょうか。夜行性動物、暗視カメラを除いて(笑)。
 光がない、暗闇、すなわち光信号の入力が遮断された状態、緑色は出力されない。そこに葉っぱがあるのを見ても、(葉っぱが存在していても)、眼の網膜(フイルム)には、葉っぱの形も緑も映し出されない。映像化されないものは脳には何も伝わらないわけです。
 葉っぱはそこにあっても「ない」ことになるのでしょうか。視覚では情報がゼロでも、触覚、嗅覚の情報がキャッチされば、脳で処理されるでしょう。そして、映像(脳が創り出した)として認識されるかもしれません。五感を研ぎ澄ませ!ですね。

 ヘレンケラーが、井戸水に手を浸し、“water”の単語と手に感じる水の冷たさが瞬時に結びついた逸話。はじめから脳細胞に映像が描かれているわけではないのです。その物質から伝わってきた情報を脳が情報処理して、映像化している、そのプログラム、仕組みのことを象徴的に伝えているのだと思います。肉体をまとい、こうして世界とつながる。

 話を元に戻して、緑色の葉は、物質そのものが緑色なのではなく、緑色の波長の光線。
 光線というと、光跡。レンズに入る光の量を調整する絞りを使って、スローシャッターで撮った写真を思い浮かべる人がいるかもしれませんね。それは一種の「見える化」だと思います。

 光(可視光線)とは、人間の目に光として感じる範囲の電磁波です。波長、電磁波が色を持ったものと認識できるのには、可視光線という情報を入力して、緑色の波長の光線だけを反射し、他の波長は吸収する機能を持ったプログラムが働き、緑色の光線だけを出力しているのです。

 動物、魚、虫、鳥、犬は同じものを見ていても、見えている色が違っています。世界から自分に必要な情報をキャッチするために、魚は、赤、青、緑が見え、虫は、紫外線が見える、犬は、青と黄色が見え、グレーのかかった世界です。

 私たちが見ている、嗅いでいる、聞いている、味わっている、触っている物質は、物質そのものではなく、出力された情報を見ている、嗅いでいる、聞いている、味わっている、触っていると言えます。

 なので、色の持つイメージというのは、案外当たっているのかもしれませんね。寒色、暖色、濃色、淡色、明度…

 そして、もう一つ、相似形。植物のフラクタルが分かりやすいですね。同じ形が規則的に続く形状であり、部分を拡大すると、全体と同じになる。


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 臓器は細胞で構成されています。その細胞は、たんぱく質から構成されています。たんぱく質はアミノ酸が結合したものです。最終的には素粒子にいきつくのですが。大きいものは小さいものが集まってできている。最小単位は電子と結合しています。電子は情報やエネルギーを運びます。

 宇宙空間には、大部分が真空、何もない状態なのですが、物質は何もなくとも、情報は存在しています。温度、光、電波、重力etc.

 僧侶から頂いた年賀状です。禅語の記事がたくさん、皆さまに読まれているようです。ので、今年も記事にしました!
 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。その後もお変わりなく元気にお過ごしのことでしょうね!

 (彼が携わっている)老人施設や病院のボランティア活動が少しずつ再開されてきました。世間ではマスク姿が減る中、依然として、ご家族の面会が制限されたままです。一日も早くコロナ前の対応、直接会って触れ合うことができる、に戻ることを願います。
 アフターコロナでの生活はいかがでしょうか。

 「花紅開宇宙」、禅林類聚に「紅輪当宇宙」とあり、紅倫は太陽のことを指す。だから紅の花は太陽と受け取っても良い、あるいはそのまま一輪の花と受け取っても良い。太陽や一輪の花が時間と空間を貫き、輝いているさま。光明三昧と書かれています。


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 あらゆる場所でも、太陽は、寒い冬において暖かい太陽の熱は生きる力であり、暗闇において、明るい太陽の光は希望にほかなりません。いかなる闇をも照らし、いかなる寒さをも和らげる太陽の無償であらゆる人々に平等に与える愛。イソップの物語の『北風と太陽』のように、自ら輝き、自ら与える喜びは、人びととの絆、世界との絆をもたらすでしょう。



 

ヤスパース 妻がユダヤ人だったために・・・

カテゴリー │時事歴史心理学


 ヤスパースは、ドイツ人の実存主義の哲学者です。

 実存主義は、サルトルから始まりました。

 はじめに、「無」について、わたしの見解を述べたいと思いますが、どうでしょうか。

 以下は、旧約聖書のヘブライ語、ヘブライ思想からの考察となります。
 人間は無から創られた、何もないものであるということは、受け入れ難いことであり、確固として自分の独自性を疑わなかった人間にとっては、大きなショックであり、頭で分かったとしても、耳に心地よいものではありません。
 しかし、人間は無から創られたということが、まず創造の法則であります。
 人間は自分一人だけでは自分の存在の根拠がありません。すべて(宇宙、他者、神)との絆を断ち切ってしまえば、かえって、無だけが残ってしまうからです。

 さて、実存主義に話を戻して、
興味のある方は、サルトルの有名な著書『嘔吐』に目を通してみてください。
 わたしはといえば、大学時代に読んだきり、もう、アレルギーを起こしてしまい、もう読みたくはありません。(笑)

 この『嘔吐』に著されたサルトルの主張、「全てが余分なもの」「自分を抹消」をどう読むのか。事実であるか検証したい。
 16世紀から、教会の権威が凋落し、神の存在も引きずり堕ろされ、科学的、機械論的な世界観が完成してゆきます。
 サルトルは、体と大地が切り離された感覚を持つが、科学的に見れば、体を構成しているタンパク質も地球のものです。
 神無き後に、なぜ、永遠を問うのか。なぜなら、永遠の根拠は神にある。自己否定も進めば、永遠の生命の否定に突き当たる。サルトルは、魂の故郷を失い、自己の存在の根拠に彷徨した。

と、わたしは、キリスト教的な考えから、このように詠みました。

 自分の内に対する何とも言えない空虚感や、自分の内側(存在)に対する不信感が渦巻き、人間の精神が信じられなくなってしまった。
 例をあげると、人間は宇宙の片隅を回るささやかな存在でしかなく、人間の無意識は性的な抑圧でしかない。これは、一見、コペルニクスの地動説、フロイトの精神分析から、客観的に見ると正しいかもしれない。
しかし、果たして、それが真実であろうか。
 宇宙と自分の関係を考える時、「自分が存在するために宇宙全体が必要である」という大前提に気づけない。気が遠くなるような宇宙が、均衡を保ちながら運行を続けていること自体が神秘であり、小宇宙である人間の体も驚くべき秩序によって維持されている。意識しなくても呼吸ができるが、呼吸が苦しくなると息をすることがいかに尊く不思議なものであるか感じられる。
 「生かされている」という境地にある人は、在りとし在るもの、生きとし生けるものとの絆、つながりを痛切に感じています。
 人間は自分から存在していません。神によってはじめて存在します。
 しかし、サルトルは、神を認めないから、人間が神から愛されていることが分かりません。生かされている神の愛が分からないから人間の価値も意味も分からない。だから、「人生は無なり」「自分の生きる意味もない」
 神を否定したら、残るのは無だけ、何もない。彼は苦しんだ。人間は誰でも存在したい。本当は愛されて生きていることを認めたかったが、存在させてくださる神を否定してしまったサルトルはどうしようもなかった。

 ここまで、実存主義についての、わたしの考えを述べてきたわけですが、
ヤスパースの話に戻ります。実存主義はサルトルから始まりましたが、ヤスパースの実存主義は、中身空っぽの人間観ではなく、「自己の有限性を自覚した上で、私たちはいかにして生きていくべきかを考える」。
 人生にはいかんともしがたい事が起こります。避けようとしても避けられない試練もそうでしょう。立ちはだかる壁。
 ナポレオンは「余の辞書には『不可能』の文字はなし」と言い放ちましたが、領土を広げるために、拡大、拡大でエジプトまで遠征しました。だが、ロシアを侵略した際、予期せぬ事態、補給路を断たれ、退却の際、冬将軍に苦しめられ、大損害、そして没落の道を進むのである。人間は全知全能、万能でもなんでもありません。思い通りにゆくわけではありません。それが、この世の定め。
 仏教の「心に刃をのせる、耐え忍ばなければならない娑婆」忍土でもある。遺伝子、生まれ育った地も違えば、習慣、受けた教育による知識、思想、価値観など、様々なバックラウンドがあります。この世は違いに満ちています。違いが違和感となります。
 誰もが自分以外の他人の人生を生きることはできません。「自己の有限性」を心のアンカー(錨)、不自由な牢獄とするのではなく、そこから無限の可能性を自らの内に見出して生きていくにはどうしたらよいのでしょうか。
 これは、目の前に高くそびえ立つ壁を前に、ただ為す術もなく立ちすくみ、眺めている旅人のようではなく、限界突破!とはいっても、壁をブルドーザーで壊して、前に進むのではなく、自らが新しく生まれ変わる。壁は真の自分を生み出す。試練があるからこそ、新しい自分が引き出される。


著作権フリー

 ヤスパースは、奥様がユダヤ人だったため、離婚を勧められますが、それを断ったため、大学の教授の地位を失います。著作も出版禁止となりました。そして、夫婦ともに、アウシュビッツ強制収容所に送られることを覚悟しますが、アメリカ軍が侵攻したため、命を救われます。2つの選択肢のうち、どちらも選ぶことができない。「妻を見捨てるか」かといっても、すべてを失っても妻を助けることはできない、「ナチスに反逆し、自分も妻と運命を共にするか」、ヤスパースは自殺を考えたそうです。一切の希望を失い、生きる気力すら失せたのでしょう。
 強烈な限界状況、絶望を体験したわけです。
 ヤスパースは、この痛みを限界状況、避けることのできない仏教の四苦(生老病死)と呼びました。その苦悩は、心をかき乱す。いかにして、アタラクシア(不動でありながら、自由で軽やかな、幸せを感じる心)に至るのか。それは自分を超えた大いなる存在。
行き止まりになってしまった壁を、うつろな眼で、しっかりと壁を見ているわけでもない、策を考えるのでもない、ただ時間だけが過ぎていく。でも、壁は消えない。呆然とする。挫折です。でも、壁が立ち現れたからこそ、深く生きようとする、本質から入ろうとする。
どうしてもできないこともあるが、力及ばないことがあるが、それでもこうすることもできる。やるだけやって、あとは神のみぞ知る。神様にお任せする。これが「自己の有限性」なのだろうと思います。

 試練の中から、全く新しい心境になった先人たちがいます。
 ユダヤ王国滅亡で、イスラエルの国が無くなり、バビロン捕囚で、囚われの身になり、預言が変わったエレミヤ、エゼキエルがいます。
 神の言葉預かりし者として、虚しくこだますることなく、希望を謳(うた)った新たな契約を預言した。

 要因は、外部にあるのではなく、内側にある。「新たな統治者を打ち立てなければいけない」とは、代わる新たな指導者を指すというより、革(あらた)まる。
新たな自分を、あなたの人生に新たな人生の統治者を生み出しなさい。
 天は、人間の代表者に統治を任せる。その人間が堕落すると天は人を改める。

 君ら(異国の支配者)にとってはガラクタに過ぎないが、宝(タルムード、モーゼの律法、ユダヤ教の要)を携えていたエレミヤらの預言者たち。
 嘆いていたその自分では、預言活動の変曲点は越えられない。屈服していては、未来に希望はない。限界をつくっていた心を転換し、別人のように生まれ変わる。
慣れ親しんだ古い自分から、新たな自分と統治者交代。

 祈りだけで与えられるのではなく、人は、自由意志を持ち、一切の全権を委ねられている。
 精神論だけではなく、それを「見える化」する可視化とは、「直接、掴むことができない、触ることができない要因のことを因子という。因子分析とは、事象を挙げていって、要因ごとに整理していく。」こと。
 要するに、目標があるから、障害が表れる。目標を立てると、それを阻害するものが見えてくる。
 また、様々な出来事、人生の経験によって、状況が変われば、目指すもの(ビジョン)は当初、描いたものと変わってゆくでしょう。
 でも、目標(北極星、進むべき航路の目印)を変えるというのではなくて、そのときの最善のアクションプログラム(行為計画)、最善の方法を目的地、ゴールと呼ぶのです。
 そして、今日一日にも、訪れる出会いにも出来事にも、取り組んでいる仕事にも、抱えている問題にも願い、イデアがあります。あるかないかもわからない答えを探すのではなく、私たちは必ず、存在する解答、神の意思に叶う、本来あるべき姿を探し続け、それに近づこうとするのです。
 だから、向かう道をあきらめてはならない。めざす場所、求める理想は、どんなに遠く困難でも。



 

お別れを告げに来た山鳩♪

カテゴリー │育む


 去年も、山鳩のつがいが、ウチの庭の木に、いつの間にか巣をこしらえ、卵を交代で抱くようになったんだ。
 でも、台風の大雨が続き、心配していたところ、親鳩が座って(?)、卵を温めている時はまだ良かったが、雛(ひな)がかえる直前は、親鳩が立ち上がっていたんだ。大雨で卵の中で、ひなが死んだのかな…と、巣の中をのぞくことができないので、あれこれ言って、想像していたんだ。

 でも、巣の中が空っぽで、つがいの鳩は戻ってこなかった。
「烏(カラス)かな」どっかに卵が落ちていないかな?と、庭をくまなく探し回った。だが、空っぽの巣が残されただけだった。

 そして、哀れ、小枝や草を集めてこしらえた巣は、冬が来る前の剪定でバッサリと狩り落とされた~!

 だが、その翌年も山鳩は庭にやってきたのだ。去年来た山鳩と同じ鳩なのかは、不明。そして、いつの間にか巣が木の葉っぱの中に隠されていた。
野鳩は卵を産み、ここからは聞いた話、えさを外へ取りに行き、なぜかと言うと、かわいそうだから、もう野鳥にエサをあげるのはやめたんだ。雛が二羽雛が二羽孵(かえ)った。寒くない、あったかいときだからね。

 だが、巣のある場所の近くの角のゴミ集積書にはカラスがおこぼれにあずかろうと、電柱から狙っているのだ。
 だから、野鳩を近くでのぞきこまないように、見守っていたらしい。絶対に巣のそばには近づかなかったんだって。外にエサをとりに行き、雛は大きくなったそうだ。卵からかえって、1ヶ月と10日で、二羽の雛は大きくなり、親鳩は飛び立った。

 大きくなった雛の方の鳩が外にエサをとりに行き、巣に戻ってきていたらしい。
毎日、毎朝、園芸、草とりや水まきをする家人が見守っていた。

 だが、先週の木曜日、一匹の大きくなった雛の野鳩が庭の生垣の上にちょこんととまっていて、家の中を見ていたそうだ。目があって、こちらをしばらく見ていた。5分ぐらい、じっとこちらの顔を見ていたんだって。家人は、「さようなら」と言ったように感じたそうだ。お別れを言いに来てくれたのかなと。「ここは良かったよ」と。しばらくすると、飛び立った。庭から家の中を見ていたそうだ。


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 そして、もうそれっきり、雛の野鳩の姿を見ることはないそうだ。

 信じられない!と、お思いでしょうか。わたしは、あまりのかゆさに、蚊取り線香も、虫除けアロマスプレーも、ベープも、対策をとっているのに、チクッと、痛くかゆい~‼‼ あまりの怒りに、窓に出勤した家守(ヤモリ)にそれぞれ名前をつけて、呼びかけていた。足の指の数で区別し、、やっくん、もっくん、りっくん と呼んでいた。家守は繊細なので、驚かすと、しばらくは来なくなる。それでも声をかけずにはいられなかった。「虫獲れ~!」「仕事しろ~!」やっくん! りっくん!
 繊細で、逃げ去っていた家守が、心が通じたかのような気がした。あくまでも気のせいか~?

 聞いた話だと、畑仕事をしていると、危害を加えられないと、分かっている野鳥が逃げずに、畑仕事を見守っているそうだ。

 家の近くの川のオオバンや鴨は、橋のところに佇んでいると、いつの間にか、離れたところからも飛んできて、橋のふもとの川面(かわづら)に参集してくる~‼ パンも何も持っていなければ、早々に退散するしかない~!



 

会社員のままウクライナへ 仕事をしながら、社会貢献~☆

カテゴリー │時事お仕事で


 会社員のままウクライナへ。
仕事を辞めずに人道援助活動に参加する例になれたら。

 アドミニストレーター(財務・人事担当)の森川光世と申します。普段は民間企業に勤務していますが、2022年9月、7年ぶりに国境なき医師団(MSF)の活動に参加し、ウクライナのミコライウで財務・人事のマネジメント担当として、経理から採用まで幅広く担当してきました。

 私の派遣先では、病院はある程度機能していて、医師もいました。そこで、MSFは現地からの要望を受けて医療物資を届けたり、爆撃の被害を受けた病院を修復したりしました。MSFでは物資調達や支払いに関するルールが整備されています。しかし、ルールに従っているだけではプロジェクトを前に進めることが難しいのが現状です。例えば、窓ガラスを修復する際、通常なら見積もりを3社程度から取るべきですが、攻撃に巻き込まれるのを怖れ、対応できる業者は1社だけ。でもそこだけに頼ると提示された価格が妥当かわからないため、実際には来られない業者からも比較のために見積もりを取り、請負業者を選定しました。緊急援助の現場では常に「あるべき姿」と「臨機応変に進めるべき部分」とのせめぎ合いで決断を迫られるのです。

 現地では12人のウクライナ人のスタッフと一緒に仕事をしていました。いつも明るく、でも真剣に仕事に取り組む、頼もしい仲間たちです。帰宅の別れ際には、笑顔で“Have a quiet night(静かな夜を)”と挨拶を交わしました。私は、本当に心からそれを願っていました。砲撃があるため、静かな夜などありえないからです。安全な場所にある私の宿舎でさえ、夜中は砲撃で揺れ、とても緊張しました。翌朝、オフィスでみんなの無事を確認して、ほっとする毎日でした。

 実は、私は以前、英語の教師でした。教科書に載っている紛争や飢餓について、生徒たちに現実の世界の情報を伝えたいと思ってNGOや大使館のウェブサイトを調べたことで、人道援助に興味を持ちました。その後、NGOの管理や経営を生涯大学で勉強するなど、人道援助に関する知識を身につけていきました。そしてMSFの活動報告会に参加した時に「基本的な健康が保たれないと教育も成り立たない」と思い、MSF日本事務局で働くことにしました。

 資金調達部で寄付者さまから活動内容の問い合わせを多く受け、海外派遣スタッフから聞いた話をもとに答えていましたが、次第に自分の目で見たものを伝えたいと思うようになりました。ちょうどその頃、「いつか医師としてMSFに参加するために医学部に行く」と言って、MSF日本事務局を退職した同僚がいて衝撃を受けました。彼女に触発されて「私もいま、行動に移そう。私が派遣地で貢献するにはアドミニストレーターだ! そのための準備をせっかくやるなら、米国公認会計士になろう」と思って、仕事のかたわら少しずつ勉強を始めたのです。

 2009年に念願の海外派遣が決まり、予算や決済などお金に関する業務全般を監督・管理する財務コーディネーターとしてスーダンで活動しました。チャンスをもらえて本当にうれしかったです。ある朝、部族間の衝突があって、着の身着のままで砂漠に逃れてきた人たちがいるという情報が入りました。現場に行き、何が必要か、いくらかかるかといった計画と予算を私が立てて、オペレーション事務局に緊急で要請しました。情報が入ってからオペレーション事務局の承認が下り、物資調達に入るまではたった2、3日でした。それまで日本で「48時間で援助を届ける」「私たちが直接届ける」と、支援者の皆さまに話してきたことは本当だと強く感じました。

 その後、ナイジェリアやイエメンなどの活動を経て、再びMSF日本事務局のフィルード人事部で働いた後、米国公認会計士の資格を取得し、2016年に現職に転職しました。会計士としての仕事はやりがいがあり、懸命に仕事をする一方で、MSFの活動にMSFの活動にもいつかまた参加したいと思っていました。

 フィルード人事部でスタッフを派遣先に送り出す仕事をしていた際、活動に参加するために仕事を辞めなければならない多くの人たちを見て、「仕事を続けながら活動に参加できる社会になるといいな」と考えていました。そこで、まず自分が「企業に在籍しつつ海外での支援活動に参加する」という先行事例になれたら、と思い始めたのです。

 ヘルスケア分野のコンサルティングにも携わって7年目に入り、気持ちに少しゆとりができ、ちょうど抱えていた仕事が落ち着いた時に、上司に「ダメ元」でMSFの派遣先に参加したいと相談しました。日頃からMSF出身であることや、いまもMSFと関わっていることを伝えていたこともあって、上司は了承してくれました。派遣先や期間についてMSFと相談した結果、ウクライナへの5週間の派遣が決まり、職場の仲間の協力のおかげで思う存分、活動することができました。

 これまで私は6回の活動に参加しましたが、緊急時にオペレーション事務局に予算を要請して「不可」と言われたことは一度もありません。これは皆さまが使途を限定しない継続的なご支援や「毎月の寄付」をしてくださっているおかげで、緊急時の初動費用の資金を確保できているからです。事態の急変時に素早く対応し、「救える命を救う」活動ができるMSFを私はいつも誇りに感じています。

 「活動資金はどこかから降ってくるわけではない。世界中にいる寄付様のご支援があってこそ。だから、お金を正しく管理し、必要なところへ届けなくてはいけない。」これは各現場で必ずスタッフに伝えています。ですから、皆さまにも現場で私たちと一緒に活動していると感じていただけたらうれしいです。

※オペレーション事務局:フランス、スイス、スペイン、ベルギー、オランダに設置。世界各地のプログラムを運営管理し、チームを編成・派遣しています。

2023年4月

これからも私達MSFと一緒にいてください。皆さまもMSFの一員です。

国境なき医師団日本アドミニストレーター 森川光世

国境なき医師団の発行冊子『ACT!』2023年4月号の森川のレターからの引用させていただきました。
ブログ掲載については「問題ございません」との言葉をいただいております。ありがとうございます。


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 自分の特技を活かす社会貢献にインスパイアされ、わたしも不用品リサイクルスペースのお洋服整理整頓、コーディネートのボランティアをしてみることを思いつきました。
 前職でマーケティング戦略に基づいたゾーニング(店舗の陳列、レイアウト)、縦陳列やSKU(在庫管理の最小管理単位)、トヨタの定数定位置管理の3S、5Sに携わってきたので、
今の職場でも備品管理、ストック品整理は、(「集約、関連付け、導線に沿った動き、目線の高さによるゴールデンスペースetc.」の理論を知っていて、実行に移し、結果を出してきたので、)得意だとアピールしているにもかかわらず、その仕事は回ってこない…(泣)
 不用品リサイクルスペースに数回通い、手の空いた時に商品整理を手伝い、おせっかいではない、独善的ではない、仕切る人がいる感じでもない、品のある、みんなでというスタンス、垣根や派閥はなく、できる範囲でといった雰囲気を感じ、ボランティアに応募しました。
 それに仕事ではなく、限られた時間の中で没頭していると、日常の煩瑣な事を忘られます。
『きれいに魅せる、選びやすい』カテゴリー分けの陳列は得意ですが、お店ではないので、それに拘泥するつもりはありません。もののいのちを活かし、リサイクル、リユース、循環することが目的でそのお手伝いをするので、売ることが目的の店舗とは違うだろうな~とは想像しています。

 キックボクシングやアイシング、フラダンスで「無」になれる。家事も仕事も子どものこともいったん頭から追いはらって没頭できるという話を聞いて、
わたくしは1年間、1日7000歩以上のウォーキングをしてきましたが、食欲が旺盛になり、ビールが美味しくなり、座り仕事なので、食べざるか否か葛藤するので、お洋服整理のボランティアも追加することにしました。(笑)
 ウクライナ人道支援への寄付ももちろんできる範囲で続けますよ!(^▽^)/



 

パワースポット「浜松市元城町東照宮」

カテゴリー │旅行 お出かけ浜松歴史


 過去記事です。『どうする家康』の引間城跡です。お田鶴の方は知っていましたよ〜!築山殿の従姉妹なんですよね!
ドラマでは田鶴、瀬名となっています。

 パワースポット、「浜松市元城町東照宮」
自然の力が漲(みなぎ)る場所が、街中にあるとは、思わなかったんだ~
浜松市は、ゆるキャラが、家康くんと直虎ちゃんなので、歴史的な史跡も整備がすごい~‼
パワースポットへでかける時に、
「良縁、良い出会い、仕事の成功etc.など、叶えてもらいたい望みをしっかり持って、訪れる」「現地では、その望みを声に出して、届けてもらうことが良い」「運気アップ」と言われているよね~♪

 だけどさ~、受験に願掛けやお守りを戴いたんだ。無事、合格したけど、そのままほったらかしてたんだ~ いつの間にかお守りが消えていたけど、気にせず~
ちゃんと、母がお礼参りしたそうだ。
有難い、有名なお札も戴くことがあって、一年後に、母が回収、気にしていなかったんだけど~、母が神社にちゃんとお返ししていたんだって。
 職場がその地から撤退する時、破魔矢、何枚かのお札を、ゴミ袋に捨てようとした、パートのおばさん、そこへ年配の総務が止めに来た~!「上長の机周りを片づけるように言われているんですけど~」のパートの言葉に、
「お前、近いだろ?五社神社。返してこい」(???)
街中によく出かけているし、地元民だけどさ~ ( ノД`)シクシク… 会社にあった縁起物を持って帰って、母に聞いた。
「いい機会だから、神社にお参りしてきたら? 新しい場所でうまくやれますようにって」
 五社神社に返す任務、無事に果しましたが、分からないことだらけで、マイナスなイメージを持ち、ポジティブな気持ちで出かけなかったよ~‼Σ( ̄□ ̄|||)

 目安としては、ホテルコンコルド浜松の向かい、元目分庁舎の向かいだが、裏側で、石垣と雑木林がそびえています。
反対側に回らないといけません。
これ見つけた~!



 浜松祭りの元城町の屋台って、すごいパワー屋台? 出世&運気向上?聞くところによると、昔は街中で激練りがあり、近隣からも見に来るくらいの大きなお祭りだったそうだ。だが、駅前にタワーマンションが建つと、元々住んでいた人ではなく、他所から来た人が、騒音問題で訴えて、長年続いた街中に集まっての激練りはなくなり、それぞれの町中を巡る激練りか、イオンに5つぐらいの町が集まっての激練りしか見られなくなったそう。そこのところ、あまり詳しくはないが、小さい頃から激練りを見てきた人はかなり憤慨していた。今はしょぼいそうだ。だから、立派な屋台がありながら、てくてくと引き綱をもって子供が歩くだけで、ラッパや太鼓が鳴り響かない、近隣の市町村から人が集まらなくなった。
 ちなみに、ラッパを吹ける人が日本で一番多いそうだ。サックスを吹ける人が、「ラッパとは口の形が違って、吹けない」と言っていた。祭りの晴れ舞台がなくなり、ラッパ隊は衰退するどころが、ドラムのように小太鼓を打ち鳴らす金髪長髪を振る法被を着たロックンローラーも参加し、真面目な中学、高校生も激練りのリズムではなく、ロックのリズムでラッパを吹いているそうだ。街中の激練りが自粛されても、発散させる場が必要!日が高い時間帯の小規模なので運が良ければ目撃できるかもしれない。法被を着てないと、飛び入り参加はできません。タワマン住民のせいで、京都みたいに伝統を引き継げない。街中の2階の店が埋まる、観光でもあったのにな~

 住宅地への小径を入ると、



神社の鳥居が見えてきます。



 わたしは、願掛けは特にしていないが、
マナーが大切だと、眷属に対する礼儀として、きちんと鳥居をくぐる時に挨拶する。
「わたしは、どこどこに住んでいて、ここを〇〇で知って、おじゃまさせてもらいたいと思うんですが」

きちんと、手水舎(ちょうずや)で手と口を漱ぐ。竜にも挨拶する。
水盤に徳川の家紋、三つ葉葵。



天井に、竜と鷲が合体したような不思議な絵が…



 狛犬にも挨拶する。ぴ~んと背筋を伸ばして立っているような、口を開けているのと、口を閉じているのと、受ける印象が違う。口を閉じている狛犬は大人しい。口を開けている狛犬は人懐こそう。あくまでもイメージですが…(汗)(;´∀`)



 きちんと、作法通りに。何も書いてない神社だと、二礼二拍手一礼の回数を間違えることも…
お賽銭は、5に近い金額をちゃり~ん♪と、投げ入れる。

お店の人は、お客さんがお金を投げるように渡すと、内心はあんまり気分は良くない。顔には出さなく、きちんと「ありがとうございました~」とは言うが、割り切っている。
お金を捨てるように出すのではなく、気持ちよく出す浄財。
 
市役所、デパート、駅ビルでも、案内嬢を無視して、すたすた入っていくより、通り過ぎながら、軽く笑顔で会釈すると、気持ちのいい挨拶&笑顔が返ってきて、こっちも気分が良くなる。お客さんに注意をはらっている職務だからかな~ 意識を向けていないといけない、だから疲れるだろうな~と。
 サービス業で、いろいろなお客様を見てきて、いろいろ感じている。

 パワーがあるってことは、目には見えないけど、眷属がいて…

 散歩がてらに犬を連れている人、生理中の女性、連れと大声でしゃべっている、悪口を言っている人、
京都の観光客が多いお寺の境内で、犬を連れた人、絵を描いている人がお坊さんに話しかけた。桜や紅葉の時期、特に夜ライトアップがある寺だと、背が低い植木が折れている、植物が踏まれている、ごみが捨てられている時もあるんだって。
仏様は心が広いから、いいけど、
 人が来ない、山の上、とかのお堂は荒らさない方がいい。(誰が荒らすんだよ~⁈)
観光客が多いお寺や神社は、ゴミを捨てようが、花を摘もうが、枝を折ろうが、何もないから大丈夫だって。本当かよ~?
 本当に大切なものは、非公開で…とのこと。

 『こんぴら狗』今井恭子・いぬんこ画の本を読んだばかり。「可愛い犬が、飼い主、弥生のために金比羅宮へお参りするよ!」に、児童書を読むことに。歴史好きには、庶民の生活がわかって非常に良かった〜
犬が代参した風習があったのに、動物はNGなのか〜?・・(˙˘˙*)?

 神社の境内、落ち葉が多い季節なのに、砂利がきれい。

 家康や秀吉がここから出世。
1551年、16歳の木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)の、初めての奉公は、今川家臣の居城、引間城だった。(ちょっと時代が合わない…)
1554年、17歳で信長に出会い、24歳でねねと当時としては珍しい恋愛結婚し、信長の死後、天下人。
1570年、29歳の徳川家康が、今川から独立し、遠江地方を平定するための拠点として、初めての居城、引間城に住み、浜松と地名を定めた。
元城東照宮が建っているこの地は、拡張した浜松城の前身の引間城の本丸跡。
ちなみに、浜松城は、「出世城」だよ。コンコルド浜松の近くだよ!



 400年以上も前からの「出世した~い!」パワースポットだが、意外と、地元民には知られていない。
一緒に写真を撮ろう☆ 出世運がうなぎのぼり(浜松名産の鰻にかけている)、SNSなどで拡散すると、運気向上を広く周囲に振りまくことができます!

社務所と思いきや、元城町公民館があったよ~

 お願い事はしていないのに、気分がすっきり、雨上がりの草木や花がものすごく綺麗。道中の草木や花が輝いているみたいだった。
雨の日は、水たまりや濡れないように歩くのに精一杯で、肌寒い。気分が高揚しているのか、雨の不快さをあんまり感じなかった。
霊感ゼロだけど、わたし、口を開けた狛犬が、靴や服、かばんを濡らさずに帰れるようにしてくれた、水たまりや横降りの雨に遭遇しなかった気がする。「よく来てくれたね!」って。
お礼参りしないといけないのか~? 心の中でお礼言おう‼



 

「松本零士展」in豊橋☆

カテゴリー │旅行 お出かけ豊橋絵 読書


 過去記事です。2017.9.16
松本零士さんのご冥福をお祈りいたします…

 遊びに行った家の離れに、漫画がたくさんあった〜! 読み耽った、手塚治虫の『火の鳥』『ブラックジャック』覚えている〜♪
エンドレスの同じような内容が繰り返されるが、問題提起が鋭くて、画の感情描写に惹きこまれた〜!
 子どもライオンが、寝室のベッドで「洗ったから、ボクの匂いがなくなっちゃったよ」とクンクン手の匂いをかぐのに、目からウロコ。『ジャングル大帝』のレオのことかな〜?

 豊橋市美術館で、『漫画界のレジェンド 松本零士展』をやっていると、知り、さっそく行くことに☆

 浜松は、美術館ガラガラなのに、豊橋は、わりと人がたくさん来ていた。デパートの催事場かと思った。文化度は高い!静岡市では、観劇も、歌舞伎もあるね。
 そういえば、静岡まで、美術館へよく行ったな☆
 浜松市美術館では、『新「浜松市」誕生記念 特別展 ミュシャ財団秘蔵 ミュシャ展』2005年、『「山田卓司展 情景王物語 もの作りの聖地浜松から」』2006年、『特別展「ピカソ展 ~ルートヴィッヒ美術館コレクション~」』2007年、『「特別展「ディズニー・アート展」」』2007年が傑作♪(≧∇≦)♪
 メアリー・ブレアの絵に、「いいね!」となり、海外在住の人に頼んで、絵本まで、ゲット☆

 要するに、(豊橋はすごい!)と感心しつつ、きれいな精巧な原画を眺めていた。ペンのタッチがなんともいい〜


メーテルのコートと車掌の制服のコスプレ用もあったが、誰が、撮るんだ〜?!金髪のカツラをかぶり、ビジュアル系メイクに、エクステぱちぱちでないと、無理ではないか?

 メーテルが、機械であることは知ってた。何故だ〜? 離れのひと部屋で漫画を読んだのか? 体を凍結して、ある星に保存してあるとか。
「メーテルが好き」とぬかす奴らに、(人造美女が好きなのかよー)と内心つっこんでいた。
原画で見ると、エクステ盛り盛りの、麗人佳人と呼ぶべき、儚げな美しさ!アニメや漫画では伝わらない、女神っぽさ、理想の女性としての男のロマン。
 美意識の足りなさに、女性ながら、我に返った。
 シーボルトの孫娘、楠本高子をモデルにしているのは知ってた。楠本いね(シーボルトの娘、女医)の伝記は読んでたの。3代目にわたる薄幸の女性の美貌が、ここで救われた?のか?

 オランダで生まれた、いねの異母弟たちが、来日し、晩年のいねや娘高子や孫たちの面倒を見た。高子もいねも、西洋の血ゆえの度重なる苦労があった反面、血の繋がりの温かさにも恵まれた。

 古代雪のファンも多いねぇ!メーテルやスターシャに比べると、親しみやすさあり!

 手塚治虫さんも、松本零士さんも、社会問題提起してる!
手塚治虫とごちゃまぜになってるが、
微かに朧げながら、読んだ気がする。

 さすがに、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』とは、ごちゃまぜにはならないよ〜!
ジョバンニは、活版所で活字を拾う仕事をし、買い物をして帰る。ジョバンニの母親は病弱。お使いに出たところ、銀河祭りに出かけた同級生と鉢合わせ。ザネリがからかう。駆け出した先は、銀河ステーション。いつの間にか裕福な仲良しのカムパネルラと銀河鉄道に乗りこんでいた。風変わりな人々に出会う。
 幻想的だが、あまりにも詩的過ぎて、内容がちんぷんかんぷん。お願いだから、アニメでも、映像化してもらえないかなぁ〜?
 それは夢で、お使いの牛乳を持って帰る途中、川に落ちたザネリを助けようとして、カムパネルラが飛びこんだことを知る。カムパネルラは見つからないが、カムパネルラの父は、ジョバンニの父が元気で便りが来たことを伝えた。ジョバンニは一目散に家に牛乳を持って、お母さんにお父さんが帰ってくることを知らせようと帰った。
解釈は難しいので、暗く厳しい東北の農業に、夢の翼を羽ばたかせたイーハトーブ(理想郷)に浸ることにする。
東北まで行きました♪

 松本零士さんの『銀河鉄道999』設定はちんぷんかんぷんだが、漫画のコマの内容はわかるのだから、漫画の力は偉大!
連れが、カムパネルラより、メーテルの方がいい。メーテルは賢い名言をつぶやき、男に媚びたのはない。ダイナマイトセクシーなのに。昔は荒々しいタッチの官能的ボディだった。漫画で覚えてるのか〜?
降り立った星は記憶に残る。甘いものばかりの星、飢えてる星、など。松本零士の方が銀河鉄道の旅がはるかに長い。彼方へまだまだ続く。

 宇宙海賊キャプテン、ハーロックが、メチャクチャかっこいい!ドクロの海賊船も。内容は知らないが、

 松本零士さんは、ドクロマークの帽子をかふっているが、「生涯現役!しかも、骨となっても俺は戦う!」の気骨だそうです。

 その通り、松本零士さんは、筆で、沖田十三、宇宙戦艦ヤマトの初代艦長を書いたよ。塗りつぶしも、縁取りも、全部、筆で!手を紙に接しないで、筆圧が難しいのに、あまりにもマンガペンと同じ筆使いで、びっくりした。超人技ですね!



 

「無一帰大道」(むいつにしてだいどうにかえる)

カテゴリー │お仕事で仏教


 「無一帰大道」(むいつにしてだいどうにかえる)
無心(むしん)にして大道(だいどう)に帰(き)す
無心(むしん)なれば大道(だいどう)に帰(き)す

雲水の身上は「身軽さ」。昔の禅僧たちは、善き師を求めるため、諸国行脚しました。
その姿が、「手ぶらで出かけ、手ぶらで帰る」だったため、「無一帰大道」という語が生まれたのです。
「無心」とはもちろん空白状態のことではない。
「大道」とは菩薩、悟りのことであり、茶道の奥義。

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。お変わりなく元気にお過ごしのことでしょうか。
の書き出しで始まる禅語の年賀状を頂きました。
ウクライネ避難民が手提げバッグ1つで祖国をあとにする…、だから、「何も持たずに…」が、澱のように引っかかっていた。だが、1枚1枚はがしていく、デトックスと考えたら、腑に落ちた。

 「コロナ禍で自粛生活が長くなり、すっかり怠け者になっています。」と、法事や畑仕事に精を出しているはずの僧侶。還暦を過ぎたご結婚で、空調なしの僧房から暖房、冷房の文化的な生活、僧房のある山の上り下りがなくなって、真冬でも作務衣に白い足袋にわらの草履だったのが、ダウンを着こんで、毛糸の帽子と様変わり。
何事も「明日で良いか」とつぶやき、先送りにしています。家庭菜園の作業も1カ月あまり遅れて、畝にはマルチを張り、トンネルをかけて育てています。
 今年こそは、「早めに早めに」を合言葉に、時間にも心にも余裕を持ち、他の人にも優しくなりたいと願いました。

 手ぶらで本来の道に還る。
あれこれ解答や道を求め、尋ね歩いたが、仏法の悟り、アタラクシア(外界からわずらわされない,激しい情動や欲望から自由な,平静で不動の心)は、自分の内側の心にあった。だから、余計な重い荷物はもはや何ひとつ必要ではない。


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 道元も「空手還郷(くうしゅげんきょう)」。経典や仏像を中国から持ち帰り、それを仏法として有難がっていたが、今から800年前の鎌倉時代に、道元は経典や仏像も持ち帰らず手ぶらで帰ってきた。仏法は自分の心の中にあるという禅の奥義。
故郷に錦を飾るのではなく、「手ぶらで故郷に帰る」しなやかさで自由な心。
「無心」「無」とは、憶測やとらわれ、こだわりがない心。
 誰もが避けることができない「生老病死」の四苦、耐え忍ばなければならないこの世界、心に刃をのせた忍土に生まれる苦しみ、老いは「滅衰」、病は「業(障害)」、死は「消滅」の末法に光明を、仏法を求めた高僧たち。娑婆(日常意識)にあれば、苦しみから逃れることはできません。
 はだかで生まれ、はだかの心(丸い心)で歩み、はだかの心(本心)で暮らし、はだかで還る。三世、老いは「豊実」、病は「生き方の転換」、死は「新たなステージへの飛躍」で、来世に繋げ、三世を生き通したいものです。
 ご縁ある皆様のご健康と多幸をお祈り致します。合掌。

 令和五年元旦

 ワタクシは「乱されない心」に深く共感いたし、外側の雑音やモヤモヤした心に、

新年の目標として、
・早め早めの行動を心がける。
・不確実な情報に惑わされず仕事のスピードを上げる。ジャッジを早くする。
・貢献と恩返しにおいて自分が正しいと思った事はどんどんやる。
・手助けをしてくれる、支えてくれる人には黙っていないで必要なことは伝える。

ネガティブにはならない。
人の言う事は気にしない。うわさは聞いても聞き流し、他の人に言わない。
ソースがはっきりしないSNSは必要最低限しか見ない。
そんたくしない。目立たない、出る杭は打たれるとか考えないで失敗してもいいから挑戦する。やってから言う。
その人の人生だから人の事は考えない。

と、個人目標を立てましたが、


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 会社や企業には風土があり、なじむこと、親和性もとても大切だと思います。個人プレーヤーで仕事をしているわけではないので。
 今年は自分の弱点に向き合った上での、より良い仕事をするための個人目標を立てました。
迷いはありました。仕事の仕方や人間関係の迷いはありました。
今年はブレることなく、大切なことに集中して、今までこれからもたくさんご迷惑をおかけするとは思いますが、そのように考えています。
 ご指導の鞭撻のほどよろしくお願いします。



 

翠滴(すいてき)

カテゴリー │仏教


  これは、過去記事に追加したものです。
 ガンジーが7つの社会大罪を発表したのは、1925年。今からちょうど、100年前です。非暴力によるインド独立を果たしたガンジー!
 ウクライネにも、アメリカにも、100%正義だとは言い切れないが、ウクライネもアメリカも国際法違反はしていないわけです。ロによるクリミア侵攻、そしてクリミア併合は国際法違反です!
 ウクライネでは、2014年から続いていますが、それは、ウクライネ全土ではなく、東部や南部など、限定的でした。だが、今はウクライネ全土が、戦地、戦場!ウクライネで安全なところはどこにもない。
 今年の漢字は「戦」でしたね!
 傍若無人な海洋進出!歴史に振り返ると、スペイン、大英帝国の王室が地の果ての大航海に乗り出したのは、本国に富をもたらすため。そして、辿り着いた地でそこに住んでいた先住民を否定し、先住民に疫病をもたらし、免疫力がなかった先住民はどんどん死滅し、また対抗し、弾圧され、数は減った。
 もしかして、習◯平(平和の平が入っているのは皮肉だ〜!)や金◯恩(これも恩が入っているよ〜!)が、同じことを考えないとは言い切れる根拠はないのではないでしょうか。
 21世紀に、独裁国家とはいえ、主権国家に戦争を仕掛ける国があろうとは、誰もが予想していなかった。そこまではしないだろうと。
 なぜなら、ウクライネは主権国家であり、もはや旧ソビエト連邦の支配下、監視下にある衛星国ではないからだ。
そして、NATOに入れなかった、紛争勃発の責任はウクライネというより、クリミアに侵攻したロ、ドネック人民共和国とルガンスク人民共和国を作ったロが原因ではないのかな?

 ガンジーの7つの大罪の右側を並べてみると、「政治、富、快楽、学識、商業、科学、信仰」は、否定されるものではありません。人間の生活に必要、あったらいいものです。しかし、それに携わる人の理念によって、そこに関係する人や場の気配に、ものすごく違いが出るよね。
特に福祉施設では違いが分かりやすく出る、と言われる。
左側にある「理念、労働、良心、人格、道徳、人間性、献身」は、どうやったら身につくのだろうか。またはそのように心と行いが一致するのか、周囲に浸透するのか。これは、精神性の問題だね。百年たった今、ガンジーの言葉にもう一度耳を傾けてみたらどうでしょうか。

「翠滴(すいてき)」「滴るような翠」の禅語。
 翠は、翡翠の「青緑(ひすい)」と鳥の「カワセミ」の意味があるんだって。翡翠は磨けば宝石になる鉱石、宝玉だが、「かわせみ」と入力して、変換すると、「翡翠」と出るんだ。水恋鳥とも呼ばれるカワセミ。


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 山、草、葉の汚れのない滴り、爽やかな青緑のしずく。すっきりした冷茶の夏の瑞々しさを思い浮かべるね〜。


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 ひとしずくの水を運ぶ鳥の物語を思い出した。
この記事をご覧ください。

2019/09/10
ひとしずくの水を運び続ける1羽の鳥☆ 希望♪
 吉岡たすくさんの本は絶版、著者は身罷られ、快諾が得られる見込みがありません、著作権の関係がはっきりしません。教育現場で「白いハトとリスの話」は活用されているようです。個人のブログには、控えさせていただきますので、機会があったら、『いきいき子育て-「テレビ寺子屋」お母さん講座Ⅱ-』(吉岡たすく著…



 今夏も異常気象に成るのでしょうか。集中豪雨に見舞われ、一方では水不足が心配されています。
これも人間の欲望が作り出した結果なのでしょうね!

 ガンジーの碑文の中で、
「7つの社会的罪」で「一.理念なき政治 ニ.労働なき富 三.良心なき快楽 四.人格なき学識 五.道徳なき商業 六.人間性なき科学 七.献身なき信仰」
が刻まれていました。
キリストの心で生きられたガンジーに倣いたいものですね!
 水は、生命の源でありながら、営みを破壊する荒れ狂う面もある。自然を征服する人間に、水神が怒ってるのか〜!
深〜いお話です。